光の〈空間〉芸術としての『アルプス建築』

—認識論的読解による時間性および空間性の分析からライト・アートの展開へ

First published Thu Mar 13 19:24:26 2014 +0900 ; substantive revision Fri Mar 14 00:02:00 2014 +0900; Authored by nolze (submitted for "Culture and Representation", University of Tokyo, 2014)

Tags : 表象文化論 ブルーノ・タウト 表現主義 芸術 現代アート

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1. 序論

 ブルーノ・タウト(1880−1938年)による空想建築画集『アルプス建築(Alpine Architektur)』(1919年)は、タウトのいわゆる『ユートピア三部作』のひとつに数えられ、ユートピア的な幻想建築のドローイングとして知られている。ガラスの建築物群を描き出すこの『アルプス建築』の背景にあるのは、詩人パウル・シェーアバルト(1863−1915年)の文学作品である。『アルプス建築』では、シェーアバルトの詩的イメージが多彩な色彩光を伴って表現されている。

 本論では、タウトの『アルプス建築』を焦点として、光をめぐる空間と芸術の思想史的展開を辿る。この目的のために『アルプス建築』を読み解く上で注目するのは、後年のタウトによるカント認識論的なシェーアバルト観である。シェーアバルトのガラス世界を映し出す『アルプス建築』における時間性と空間性の読解を通じてタウト的な認識論を造型しつつ、多角的に展開した当時の思想や文化が浴した大きな潮流を見出すことで、『アルプス建築』における光の空間化という形態化作用と、ライト・アートに継承されている『アルプス建築』的なパースペクティヴの分析を試みる。

2. 本論

2.1 認識論によるタウト

カントの言葉—自然のもつ絶大な力は、要するに私達の心の思考形式によって造られたものなのである。また認識とはなんであるか—それは私達の思惟力であり、この力は時間と空間とを超出して、自然界の彼方にこれと異なる諸他の世界を構想し、また最も近きものと最も遠きものとを或いは合し或いは離すものであり、時間と空間とを超えてこの両者を支配する。感覚による知覚、即ち質料を整頓するのは、実にこの形式(認識能力)なのである云々。ここにアジア思想やシェールバルトが、それからまたカール・マルクスも含まれている。(「1935年2月9日の日記1」14, pp.234-235)

 タウトはその生涯を通じて、何度か〈建築〉における具体的取り組みを変化させている。特にナチスの迫害を逃れて日本に亡命するまでのドイツ時代に関して言えば、〈建築〉における思想的志向は表現主義時代の幻想建築—いわゆるユートピア期—とジードルングの機能建築—いわゆるジードルング期—に大別することができる。しかしながら、上に掲げた日本での日記で「アジア思想やシェールバルトが、それからまたカール・マルクス」が言及されていることからも明らかなように、タウトの思想的志向の変化は以前の志向を捨て去るようなものではなく、現れ方を変えつつ彼自身のさまざまな取り組みのうちに継承されている。特に『アルプス建築』は幻想建築の思想的原泉であったシェーアバルトの影響を反映しているだけに、『アルプス建築』を論じる上では後年のタウトがシェーアバルトにカント的な認識論を見ていることを見逃すことはできない。

 タウトが生まれたケーニヒスベルクは哲学者イマヌエル・カント(1724−1804年)がその生涯のほとんどを過ごした地である。タウトの思想におけるカントの多大な影響はタウト自らが語るところであるが、そのいくつかは後年に回顧されている。

わたしの生涯に影響を与えたこの二つの傾向〔フィッシャー教授からもらった小さな古いゴシック教会の修復と製鋼工場のタービン館の仕事、すなわちそこにあらわれている古い建築的伝統への適合と現代産業の課題の建築的解決という二つの傾向〕は、わたしのまだごく早い少年時代にもすでにありました。……そしてわたしたち少年は、カントの忌日にはいつも、物珍しい金色の次のような墓碑銘を読んだものです。

 〝わたしの上なる星空と、  わたしの内なる道徳律〟

……皆さんは、わたしの初期の作品から今日までの展示で、相異なるこの二つの傾向がわたしにどのように影響してきたかをたどることができるでしょう。その傾向がわたしの若いころは、一方ではロマン主義にまでなり、他方では鋼鉄や鉄筋コンクリートや多くのガラスを用い、また強烈な色彩をまじえた建築上の、その当時はセンセイショナルな二、三の解決にまでなりました。(「回顧展挨拶2」13, pp.21-22)

実際のタウトにおけるカントの影響について、美術史学者の土肥美夫は次のように述べている。

……タウトは、……フィッシャー教授の許で勤めた若い青年のころになると、「星空」と「道徳律」というカントの二元論をそのまま、自分の空想的でかつ即物的な二つの傾向にあてはめている。しかしかれは、カントに即して言えば、やがてカントの認識論を構想力と解することによって、ロマンティックな空想的傾向と現実的な即物的傾向とに橋をかけ、両者を総合する方向へと歩みはじめる。その歩みが現実となるのは、……すなわち……もうひとつはヴァルデンの『シュトゥルム(嵐)』誌や画廊を中心にした前衛的芸術運動に共鳴して、建築を諸芸術の総合としてとらえる試みである。(13, p.22)

『アルプス建築』はこの「試み」に含まれる。『アルプス建築』を読解する上でタウトのカント認識論の理解が重要なのは、先に述べた通り、タウトはそれによって彼の「ガラスの父親(Papa)3」シェーアバルトを把握するからである。前章に引用したタウトの日記の抜粋をもう一度掲げる。

カントの言葉—自然のもつ絶大な力は、要するに私達の心の思考形式によって造られたものなのである。また認識とはなんであるか—それは私達の思惟力であり、この力は時間と空間とを超出して、自然界の彼方にこれと異なる諸他の世界を構想し、また最も近きものと最も遠きものとを或いは合し或いは離すものであり、時間と空間とを超えてこの両者を支配する。感覚による知覚、即ち質料を整頓するのは、実にこの形式(認識能力)なのである云々。ここにアジア思想やシェールバルトが、それからまたカール・マルクスも含まれている。(「1935年2月9日の日記4」14, pp.234-235)

土肥はこれについても、次のようにカントの認識論の影響のあり方を分析している。

……タウトによるカントの独自な解釈に注意しなければならない。……まず可能的な自然の力と現実的な自然界とが区別されていること、次に感覚的知覚(質料)と認識能力(形式)とが区別されていること、そしてこの認識能力つまり思考形式に時間空間を超越、支配し、遠近法を調整し、質料を整頓して、自然界の「彼方に」別世界を構想する力がそなわっているとされていること、つまりカントの認識ないし思考は、タウトによって、自然力を形造る心の形式として、また現実の彼方の構想力として解釈されているのである。このように心の思考形式とその構想力を重視するカント解釈がテレスコピックな〔シェーアバルトの〕眼の作用と結びつくところに、……タウトのシェーアバルト観が成立しているといってよい。(14, p.22)

 奇しくも—というより時代の必然であるように思われるが、タウトの生きた19世紀末から20世紀前半の同時期にドイツで活動していたカント認識論の展開を代表する二人の哲学者がいる。一人はエルンスト・カッシーラー(1874−1945年)であり、もう一人はマルティン・ハイデガー(1889−1976年)である。以下では、『アルプス建築』における認識論をカント的認識論の延長線上に置くことで、タウト同様ともにカント認識論における構想力に注目したカッシーラーとハイデガーを取り上げつつ、タウト自身が注目している「時間」と「空間」—これらはカントのいう「先験的な直観の形式」であるが—の『アルプス建築』における分析によって、それを構成するタウトのシェーアバルトを通じた認識論的な〈眼〉を明らかにする。

2.2 『アルプス建築』の時間

ユートピア期のタウトは作品における時間的な展開に意識的に取り組んでいた。彼の短編映画のシナリオ『幸福の靴』や演劇構想である『宇宙建築師』において顕著に表われているそれは、いわば物語的な時間の進行である。『宇宙建築師』と同じく「ユートピア三部作」に数えられる『アルプス建築』は、そのなかでも特異な時間性を呈している。その加速する時間は戦後という時代の〈祝祭〉とその背後の〈戦争〉のイメージに結びついている。表象文化論研究者の田中純はこの時間性を次のように分析している。

この祝祭のただなかにおける死——それは個性を失い〈無名なもの〉となって根源的一者と融合する瞬間である——を待望する〈イントラ・フェストゥム的狂気〉(木村敏)こそが、タウトの建築幻想に異常に加速された切迫したテンポを与えている。(12, p.110)

『アルプス建築』の加速する時間は、装飾文字のみのよって構成された最終図「終わり」に示される通り〈死〉という極限を迎え終焉する。『存在と時間』を世に出した2年後に『カントと形而上学の問題』を上梓し、カントの「構想力」を『存在と時間』における〈時間〉性に結びつけるハイデガーは、〈死〉を生の〈全体性〉を完成させる決意すべきものとして捉えた。『アルプス建築』においてタウトの想定する、その祝祭的な〈建てること〉の力を裏付けるような〈人間〉が「現存在」であるならば、〈建てること〉を通じて到達する〈死〉—あるいは〈無〉は、〈生〉と〈死〉が代表する二項対立を乗り越える統一の作用である。

2.3 時間から空間へ—『アルプス建築』の空間

 30枚のシークエンスが時間という横軸に沿って展開するように、スケッチの1枚1枚は空間という縦軸において展開している。時間という横軸のうちに存在者の〈建てること〉の力が見出される一方で、空間という縦軸のうちにそれぞれのスケッチを建築=空間のヴィジョンとして展開 (expand) するとき、『アルプス建築』はハイデガー的認識論の領圏を逸脱する。空間的に捉えられた『アルプス建築』のヴィジョンは、存在=場所的なハイデガーの建築=空間論とは相容れることのない、非場所化へと発展する「〈大地の上にとどまること〉かつ〈天空の下にあること〉というハイデガー的な〈住むこと〉の忘却あるいは破綻の極端な徴候5」なのである。

 『アルプス建築』の空間を考える上で、歴史研究者グレゴリー・B・モイナハンが『アルプス建築』第28図「星のシステム」を引きつつタウトとカッシーラー(エルンスト・カッシーラー)の関係を指摘していることは興味深い6。カッシーラー(エルンスト)は、美術商であり編集者であったブルーノ・カッシーラー(1872−1941年)とパウル・カッシーラー(1871−1926年)の2人の従兄弟との交流を通じて、当時のヨーロッパにおける芸術の最新の動向—初期の表現主義に接触していた7。ブルーノとパウルはベルリンで表現主義芸術家の中心的な画廊を営んでおり、特にパウルは1918年にタウトらが発足した芸術労働評議会でタウトと協働している。このような事情を考慮しつつも、ここでは問題にしているタウトの認識論的な見方から、カッシーラーの認識論そのものに注目したい。

 1929年のダヴォス討論—ここではカント解釈が問題になった—でいみじくもハイデガーが指摘し、これによってこの討論がハイデガーの勝利に終わったとみなされる向きがあるように、少なくとも存在者が—この場合は時間的に展開する〈建てること〉の力の主体としての〈人間〉が—世界のうちにあるような現存在の世界については—この場合は『アルプス建築』の時間については—「現存在の根本的存在論」を根源においてこそ認識の理論が成立する。ドイツ工作連盟主催のダルムシュタット建築展(1951)における講演『建てること、住むこと、考えること』で語られるようなハイデガーの建築論もまた、こうした世界内存在としての人間の〈住まうこと〉の上に成り立っている。

 しかし現存在としての存在者(〈人間〉)が不在であり非場所的でもある『アルプス建築』の空間においては事態は逆である。そこではハイデガーが批判した認識の主体としての「安定した人間の前提8」によって世界が造形されている。タウトという芸術家の〈眼〉のこの前提を受け入れるならば『アルプス建築』の空間はあくまでわれわれの能動的な認識の形式—「造形的意識の機能形式」として読み解かれる。

 改めて『アルプス建築』の空間描写に目を向けると、『アルプス建築』の空間を展開するのは、ガラスと光、そして岩や川を含む大地である。人間が直接—小さな人影として—描かれるのは第4図と第11図だけで、スケールの拡大に伴って消えさる。Ⅴ部「星の建築」に至っては大地さえもカオティックな色彩光にかき消される。

 そもそも、芸術に問題(problématique)があるとするならば、光はまさに芸術の問題であった。絵画における「宗教上の照らす光」から「自然の照らす光」および「人為による照らす光」への展開9という「それ自体としての」光の認識の高まりの先にあって、建築ドローイングという形態こそが花火やステンドグラスのような自然−人為の造形芸術の流れを絵画に表出させ、タウトにおいてはガラスという素材を持ち込むことで光そのものを描き出す契機になっている。芸術の表れについて、カッシーラーは次のように述べている。

芸術家は現実のある側面を選択するが、この選択の過程は同時に客観化の過程である。ひとたび、我々がその芸術家のパースペクティヴに立ち入るやいなや、我々は、彼の眼をもって世界を見ないわけにいかないのである。あたかも我々は未だかつて世界をこのような特別な光のもとではみたことがなかったかのように思われる。(5, p.309)

「彼の眼」が—ここではシェーアバルト通じたタウトの『アルプス建築』におけるテレスコピックな〈眼〉が—見るのは、存在に縛られることのない、現象における秩序である。「さまざまな種類の精神の産物やきわめて多様な形態化作用の原理が自由にかつ容易に併存できる10」秩序概念の支配下では、テクノロジーとアートという原理は対立しない。〈ガラス〉がタウト自身が語るようにテクノロジーでありながらも、同時に『アルプス建築』に現れるように「呪文におけるように…万物を結晶的に理解する11」ことによって実体化する神話−宗教的な質料であることもまた、『アルプス建築』を形成する〈眼〉によって科学と神話−宗教というふたつの象徴の形式のもとでの統一的な形態化として「見られて」いることで成り立っている。そして光が〈空間〉化することのひとつの形態は、(ここでは神話−宗教的であり技術的であるような)ガラスというマッス−質料の「象徴」的なあり方のうちに光が表象されることである。タウトがこのガラスによる光のマニピュレーションを通じて『アルプス建築』に与えた象徴の形式は「ユートピアの指標12」による現象的芸術—〈軽やかなもの〉〈透明にして明晰なもの、純粋さ、結晶〉〈流れるもの、きゃしゃなもの、ごつごつしたもの、光輝くもの、きらめくもの〉を表現する芸術であった。

2.4 〈祝祭〉の終わり— ライト・アートの生成

 『アルプス建築』の〈狂気〉的な時間感覚は『アルプス建築』の独自性であると同時に限界でもあった。『都市の解体』や『宇宙建築師』を経て、タウトは空想建築によるユートピア(「ユートピア、原理としてのユートピア」)よりも現実的な「〈両方の足でしっかりと大地の上に立つ〉きわめて具体的なユートピア13)」を志向するようになり、実際の取り組みにおいてもユートピア期からジードルング期へ移行していく。

 光の空間芸術としての『アルプス建築』を形成する〈眼〉と精神の直接の展開は、ユートピア期のタウト及びその周辺からのグロピウス(1883−1969年)に対する影響を通じてバウハウスに現れる。タウトとともに芸術労働評議会を結成したグロピウスは、特に『アルプス建築』出版の前年に公表されたタウトの手による評議会の「建築綱領」に共鳴を示した14。しかしグロピウスは、タウトの「建築綱領」—そこでは「クリスタル〔のような明るさ〕」や「建築の宇宙的性格」といった表現で目指すべきものが語られている—を全面的に支持しつつも、タウトが芸術より広く政治革命(「ポリティーク」)を志向していくのに対して、より芸術にフォーカスした「ラディカルな芸術信条の勝利」を志向していく。この志向はグロピウスのバウハウスの構想に結実していく。1919年の4月にバウハウスの初代校長に就任した彼は同年末タウトの結成した「ガラスの鎖」に加入する。彼自身は主要な活動である書簡の交換に加わることはなかったものの、「ガラスの鎖」で回覧された文書の中には「ワイマール・バウハウスのための玩具」といった幻想建築的なスケッチも残されている15

 グロピウスのバウハウスは、合理主義や機能主義のひとつの出発点であると同時に表現主義のひとつの終着点でもあった。このバウハウスが、いわゆる「現代アート」の文脈における光の〈空間〉芸術—すなわちライト・アートの発祥地となった16。先行するキネティック・アートの流れを受けつつ登場したライト・アートは、そのテクノロジーに関してはガラスよりも『アルプス建築』第21図「山の夜:投光機と照明用建造物」に現れるような投光機を採用しつつ、『アルプス建築』のⅤ部「星の建築」を彷彿とさせるシステム(系)的な光の〈空間〉を構成している。ライト・アートの最初期の作品であるモホリ=ナジ・ラースローの『ライト・スペース・モデュレータ』(1922-30年)に見られるのは、狂気的な時間感覚の不安定さを脱した力学的に安定した時間感覚である。

 同郷のモホリ=ナジの動きと光の研究を引き継いだニコラ・シェフェール(1912−1992年)17 は、造形作品における時間の導入の試みを「映画的解決」とそれに続く「時間力学的解決」に区別している。「映画的解決」は、その基本的な形態である(造形作品を撮った)映画においては「フィルム上に時間的に構造化された、連続する動くイメージを録画する18」形式であり、それは『アルプス建築』が「録画」を介さずに直接画紙というフィルムに描き出し、のちにはまさに映画という形態をも取ろうとしていたユートピア期のタウトの物語的な時間性の形式である。しかし「映画的解決」は終わりある「上映19」によってのみ成立する。「映画的解決」そのものが不健全なわけではないが、それは必ず終焉に向かうプロセスであり、『アルプス建築』の時間感覚はその上に展開する〈狂気〉であった。シェフェールが重視したのは「時間力学的解決」のほうである。彼は「もろものの現象の全体に均衡を保たせる20」サイバネティクスによる、キネティック・アートの流れを汲む「力学」的な時間のバランスを光の〈空間〉芸術に導入する。

 時間における転換の一方で、シェフェールは「力学」的にアレンジされたタウトの空間的ヴィジョンをユートピア的な精神と同時に共有している。シェフェールは彼の「光力学」作品のあり方を次のように述べている。

光力学の目的は、限られた特権的な人たちのための孤立した唯一のオブジェではなくて、遠くからでも見える大がかりなスペクタクルを提供できる要素をつくることである。すなわち、それは都会の道具立てのなかであれ、自然のなかであれ数千平方㍍に投射される大彫刻なのである。(9, p.30)

そしてこの空間構想は「美しい質という星のもとに置かれた居住世界をついには打ち立てるという希望21」に結実する。

 シェフェールにも見られるライト・アートの〈隔れて見ること〉への傾向性は、タウトの『アルプス建築』におけるテレスコピックな〈眼〉と共通している。美術評論家の森岡祥倫は、1960年代末のニューヨークで活動していたアントナコス(1926年−2013年)らによるライト・アートの展開を目撃した美術評論家の石崎浩一郎が指摘した「光学素材の「点」から「線」への変化は光による線描を空間に走らせることを可能にしたが、他の媒体に見られない直截な強烈さを持っているネオン管のような素材は、近づいて眺めるより遠ざかるほうが効果的である」ことについて、次のように分析している。

しかし石崎のこの観察は、ネオン管を使った作品に限ったことではなくて、ほとんどのライト・アートの作品に共通する性質ではないだろうか。少なくとも、発光体そのものを構成要素として使用する作品では、誰もが日常生活の中の人工照明で経験しているように、線であれ面であれ立体であれ、光源(発光体)からの距離が増すほど展示空間の照度と作品の輝度との見かけ上の対比が高くなり、また光が近傍の空間ににじみ出して、発光体はいわばその実体性を失うような傾向に向かいはじめる。この効果が逆に作品の存在感を強化し、周囲の環境に対して “芸術作品としての優位的な働きかけ” を行う。(18)

『アルプス建築』におけるテレスコピックな〈眼〉は統一の作用の要請であると同時に、光の〈空間〉芸術の性質の帰結でもあるといえる。カッシーラーの表現を借りれば、遠隔性は「理論的空間」(デカルト的空間)を前提し、この理論的空間としての形態化が、事実として光が単なる色彩に還元されずに光として存在することを保証するとともに、「併存」して象徴(シンボル)的な美的空間の成立をも促すのである。『アルプス建築』においてもライト・アートにおいても、工業製品としてのガラスや蛍光灯が美的空間のうちに—そしてまた理論的空間のうちに—光として表象されている。

 理論的空間は合理的な操作可能性という点で現実の「環境」と共通する。シェフェールの理想論的なユートピア構想は、やはりシェフェール自身の作品によっても文面通りの実現に至ることはなかったが、光の〈空間〉芸術の形態は—アントナコスの作品もそうであるように—〈隔れて見ること〉をより現実的に可能にする環境芸術(エンヴァイラメンタル・アート)に展開した。その形態は「遠くから」見られる『アルプス建築』を形作るディテール—「湖、川、森、岩、谷、雪などの地球そのものを素材にし、ガラス建築、列柱、階段、尖塔、ファサード、洞窟などの造形物やクリスタル・ハウスを建築オブジェとした環境芸術22」—に共通している。そのひとつの極端な表れであるジェームズ・タレルの『ローデン・クレーター』(1979年−)は、クレーター(噴火丘)を人工的に加工することで天体や光の効果を観察する一種の天文台を作り上げるプロジェクトである。 『ローデン・クレーター』は、シェフェールにも見られたような『アルプス建築』の精神に関しては逆転でありながら、それは『アルプス建築』の〈眼〉を継承する宇宙を〈離れて見ること〉であり、「テクノロジーによる〈大地〉の変容」でもある。

 このような環境芸術の展開の中で、キネティック・アートの潮流のうちにあったために限定的であったライト・アートの素材にも再検討が加えられ、ガラスという素材もまた—新しいテクノロジーとしてのプラスティックの登場とともに—復権している。イ・ブルの『星の建築(Sternbau)』シリーズ(2006年−)やジョサイア・マッケルヘニーの『アルプスの聖堂と都市の冠(The Alpine Cathedral and the City-Crown)」(2007年)といった『アルプス建築』に直接取材する作品は興味深い例である。タウトはガラスという素材について次のように述べている。

私の机の上にぶ厚い黄色のガラスのかけらがある。石材のように重く、けれど決して変化をやめない。確かにそのプリズム状の形は変わらないが、そのなかにいつまでも変化し続ける生命が宿っている。堅固な形態の内であるとはいえ、光がそこにもたらす効果はまったくすばらしい。私たちが準備している新しい魂の容器はこんなふうなものになるのだろう。建てることは死ぬことなのだ。 23(12, p.108)

ライト・アートの「力学」的な時間性が終わりのない安定したものである以上、ライト・アートにおいては『アルプス建築』における時間的な「終わり」による完成は達成しえない。ガラスに対する再注目は、ライト・アートが〈隔れて見ること〉を獲得していく環境芸術化に加わって、この〈終わり〉を志向している。

3. 結論

 タウトはシェーアバルトの空想建築に、カントの延長線上にありながらもタウト独自の認識論を見出していた。『アルプス建築』を形成するタウト−シェーアバルトの〈眼〉(パースペクティヴ)は、〈死〉によって全体を統一する時間性と、科学技術や芸術といった複合的な象徴(シンボル)的形式のもとでガラスという素材に光を表象する空間性を示している。

 この〈眼〉は『アルプス建築』に至るユートピア期のタウトの影響を受けたグロピウスを通じて、バウハウスに発祥するライト・アートに現れる。キネティック・アートとの合流によって光の〈空間〉芸術の時間性は映画的な時間性から転換し、力学的な安定性を獲得した。一方で空間性においては〈眼〉の遠隔性が重要であり、それは『アルプス建築』における技術=理論的空間と美的空間の併存を共有している。この遠隔性はライト・アートから『アルプス建築』と共通的な形態を取る環境芸術に展開する。ライト・アートが環境芸術として展開する中で、ガラスという素材が『アルプス建築』からの直接の取材を含めて再評価されている。

 『アルプス建築』の認識論的なひとつの意義は〈眼〉の「統一の作用」のもとでガラスというテクノロジーの素材によって「光そのもの」の〈空間〉を理論的(デカルト的)かつ美的に構成したことにあり、その〈眼〉はライト・アートのうちに今もなお息づいている。ライト・アートを含めた現代アート特有の政治性あるいは批評性もまた、光の〈空間〉芸術を含めた環境芸術が本質的に〈建てること〉であるがための、〈建てる〉者の〈建てること〉に対する—タウトが『アルプス建築』において、シェフェールがライト・アートにおいて、それぞれユートピアを追求したような—態度の表れであるともいえる。

[FOOTNOTES]

参考文献

  1. Gregory B. Moynahan. Ernst Cassirer and the Critical Science of Germany, 1899–1919. Anthem Press, 2013.
  2. John Michael Krois. Zum Lebensbild Ernst Cassirers (1874-1945). http://www1.uni-hamburg.de/cassirer/intro/krois.html. abgerufen am 27. Februar 2014.
  3. 岩尾龍太郎&岩尾真知子訳「 ダヴォス討論(カッシーラー対ハイデガー)」『ダヴォス討論(カッシーラー対ハイデガー)・カッシーラー夫人の回想抄』《リキエスタ》の会、2001年。
  4. エルンスト・カッシーラー(木村元&村岡晋一訳)『シンボル形式の哲学〈3〉認識の形而上学(上)』岩波書店、1994年。
  5. エルンスト・カッシーラー(宮城音弥訳)『人間:シンボルを操るもの』岩波書店、1997年。
  6. エルンスト・カッシーラー(篠木芳夫&高野敏行訳)「神話的空間、美的空間、理論的空間」『シンボル・技術・言語』法政大学出版局、1999年。
  7. パウル・シェーアバルト(種村季弘訳)『永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界』、作品社、1994年。
  8. ヴォルフガング・シェーネ(下村耕史訳)『絵画に現れた光について』中央公論美術出版、2009年。
  9. ニコラ・シェフェール(渡辺淳訳)『新しい芸術精神 : 空間と光と時間の力学』法政大学出版局、1975年。
  10. マンフレッド・シュパイデル&セゾン美術館編著『ブルーノ・タウト:1880−1938』トレヴィル、1994年。
  11. 喜屋武盛也「カッシーラー哲学と「空間」の問題」『沖縄県立芸術大学紀要』(21)、2013年。
  12. 田中純「建築という祝祭」『残像のなかの建築:モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995年。
  13. 土肥美夫『タウト 芸術の旅:アルプス建築への道』岩波書店、1991年。
  14. 土肥美夫『ドイツ表現主義の芸術』岩波書店、1991年。
  15. マルティン・ハイデガー(熊野純彦訳)『存在と時間(1)−(4)』岩波書店、2013年。
  16. マルティン・ハイデガー(門脇卓爾&ハルトム・ブフナー訳)『カントと形而上学の問題』創文社、2003年。
  17. ドンダル・ムラツ「ブルーノ・タウトの思索における「ガラス建築」の意図」『日本建築学会計画系論文集』(596)、2005年。
  18. 森岡祥倫「非物質のマテリアル・マニエラ:ライト・アート、エンヴァイラメンタル・アートなど」(連載『アート&テクノロジーの歴史』)『インターコミュニケーション』(18)NTT出版、1996年(「非物質のマテリアル・マニエラ:ライト・アートからエンヴァイラメンタル・アートまで」『アート&テクノロジーの歴史 Web版』http://www.moriokas.com/art_tech/?page_id=432(2014年2月27日)も参照した)。
  19. 中村英樹「視覚と認識の変革」(連載『カラー版 20世紀の美術』)『美術手帖』52(782)美術出版社、2000年。
  1. 『日本〈1935年〉:タウトの日記』 篠田英雄訳(岩波書店、1957年)所収 

  2. Taut, B. Ansprache am 4. 6. 1938 (Manuskript). B・タウト『続建築とは何か』 篠田英雄訳(鹿島出版会、1978年)所収 

  3. 14, p.237 

  4. 篠田英雄『日本〈1935年〉:タウトの日記』(岩波書店、1957年)所収 

  5. 12, p.116 

  6. 1, p.41 

  7. 3, p.11 

  8. 8, p.186 

  9. 6, p.150 

  10. 13, p.155 

  11. 12, p.101 

  12. Boyd Whyte, I, B & Schneider, R (Hrgg.). Die Briefe der Gläsernen Kette. Berlin, 1996. p.172. (12, p.119) 

  13. 12, p.143 

  14. 10, p.183 

  15. 「ライト・アート」『Artwords®』https://artscape.jp/artword/index.php/%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%88%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88(2014年2月27日) 

  16. 19 

  17. 9, p.31 

  18. 9, p.24 

  19. 9, p.30 

  20. フィリップ・セルスによる序 (9, p.11) 

  21. 12, p.127 

  22. Boyd Whyte, I, B & Schneider, R (Hrgg.). Die Briefe der Gläsernen Kette. Berlin, 1996. p.87.